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魚河岸を影で支える容器業の仕事 その3

魚河岸で魚を運ぶのになくてはならない発泡スチロールのケース、通称「発泡」。今回は、東京空器の石井さんにお話を聞き、発泡の歴史を紐解いていきます。

昔は木箱や木樽を使っていた。

東京空器の倉庫前には漁港の名前が書かれた木箱が積まれています。
この箱は、漁港で揚がった魚を運ぶのに使われるのだそうです。

聞けば、発泡が登場する以前は、木製の箱や樽で魚の運搬をしていたのだとか。発泡から木箱に変わった当時のお話を石井さんにお聞きしました。

シノブ
東京空器さんの創業は、戦後でしたよね?

石井さん
会社の始まりは、戦後です。

シノブ
当初から容器業を営まれていたんですか?

石井さん
東京空器は、いまの社長が3代目で。社長の祖父と、うちの親父と親戚と3人で創業しました。親父たちは、戦争から引き上げてきて、さて何の仕事をするかっていうとき、築地に来て、容器の回収業を始めたと聞いています。

シノブ
容器の回収業というのは、どのような仕事ですか?

石井さん
発泡が使われる以前は、木箱や木樽を使って魚を運んでいたんだけど、その木箱や木樽を仲買さんなどから回収するのが仕事。

シノブ
回収した木箱や木樽は、そのあとどうするんですか?

石井さん
戦前は、木箱や木樽は、回収したらバラしてお風呂屋さんに売ったりしていたらしいんだけど、戦後は、物資が不足していたから、木箱や木樽が足りなくなっていた。それで、木箱の持ち主である荷受さん(漁港から市場へ、市場から店などへ魚を運ぶ業者)が、納品先から容器の貸出料をとるようになって。回収業者は、木箱を納品先から回収して、荷受さんに戻して、その回収代をいただいていた。

シノブ
なるほど、当時はそういうお仕事があったんですね。そこが東京空器さんの原点なんですね。

石井さん
発泡以前は、三陸地方なんかで揚がった魚は、木箱に入れられて、築地市場内に鉄道が乗り入れていたから、鉄道で運ばれてきたんだよ。

シノブ
その後、発泡が出てきたのはいつ頃ですか?

石井さん
昭和40年代に入った頃だと思うよ。

シノブ
倉庫の前にある木箱は、今も使っているんですか?

石井さん
これは時期がある。漁によって来る時とない時があって、ない時は、月に何本も来ない時があるよ。漁港から魚を入れて運ぶのに使ってる。

シノブ
紀州勝浦って書いてありますが、これはそこから来ている木箱なんですか?

石井さん
そうそう、これは紀州勝浦から来たマグロ箱。うちが集めるのは、紀州勝浦と銚子だけだね。もうみんな捨て箱(回収しない)でやるから、通い箱(返却する)にしているのは、ここだけ。もう何十年とやっているから、うちでもって集めて送りますよ、っていうことをしている。

シノブ
創業当初の回収業のお仕事の名残ですね。

石井さん
そうそう。今も、発泡を回収して、使いたいという人にお分けして、再利用してる。うちの、始まりは回収業だからね。

発泡が登場した昭和40年代のこと

シノブ
石井さんが東京空器で働き始めたのはいつ頃ですか?

石井さん
僕は16歳のときに、ここでアルバイトを始めて、正式に入社したのは大学を卒業してから。

シノブ
入った当時、石井さんはどんな仕事をしていだんですか?

石井さん
僕は木箱や木樽を場内で集めてくることをしてた。僕が入ったのは昭和43年だから、その頃はまだ発泡はなかったからね。木が主に使われていて、それが何年か続いて、そのあとプラスチックの箱と樽が出てきた。

シノブ
木箱や木樽のあと、プラスチックが出てきて、そのあと発泡、という順番なんですね。

石井さん
そうそう。だから僕が入った昭和40年代の最初の頃は、木が主力。1日に何百って木箱を集めてたよ。そのくらいたくさん使われているものだったから、木箱の回収業っていう商売が成り立っていたんだね。

シノブ
そのあとプラスチック、発泡ときて、働く上で何か大きな変化はありましたか?

石井さん
発泡スチロールの容器が出てきた当初は、みんな扱い方がわからなくて、落として壊しちゃったり、手カギ(マグロや箱など重いものに引っ掛けて動かすのに使う道具)で刺して穴を開けちゃったりして。そういうことがあちこちで起きてた。

シノブ
発泡の中の魚も傷つけちゃいそうですね。

石井さん
最初の頃はそんなこともあったみたい。だから、築地で働く人たちに発泡の扱い方を教えないといけなかった。

シノブ
でも重い木から、軽い発泡に変わって、仕事がスムーズになったということもありそうですね。

石井さん
漁場なんかでは、年配の女性が働いていることが多いから、そういう方たちにとっては、発泡になったおかげで楽になったんじゃないかなあ木箱じゃ重いから。漁場は楽になったと思う。

シノブ
他になにか変わったと感じたことはありましたか?

石井さん
そうだねえ…うちにとっては、回収業から販売業に変わったわけだから、その変化に対応するのが大変だった。木箱や木樽の時は、我々は、そこにあるものを集めに行って、荷受さんに戻せば良かったでしょ。でも、発泡になってからは、発泡を使いたいっていうお客さんの注文に応じて、仕入れて、売って、っていうことをしなくちゃならなくなった。

シノブ
そうですよね、東京空器さんにとっては、業態が変化したんですもんね。それは今までやっていたことがガラっと変わって大変なことでしたね。

石井さん
うちのお隣の東京魚類容器さんも、創業は同じ頃で、東京魚類容器さんは当時、木箱を作って売っていたそうです。木箱を使わなくなって、プラスチック、発泡スチロールに変わったから、それに応じて業態も変えていっているんだと思いますよ。

シノブ
時代の変化に合わせて、お客さんの声に瞬時に対応してきて、今のカタチがあるんですね。 豊洲市場には世界中の水産物が集まってきて、それが私たちの食卓に届くまでに、さまざまな包装資材が使われています。新鮮な食材の流通に、包装資材は必要不可欠。今回、東京空器さんの倉庫におじゃまし、石井さんたちのような方たちが魚河岸を影で支えてらっしゃるんだなと思いました。

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