こんにちは、編集部の忍(以下、シノブ)です。
みなさんは築地の場内へ行ったことがありますか?
“鮮度が命”の築地市場には、鮮度を死守すべく実に多くの方が仕事をしています。
築地市場に一歩、足を踏み入れると、その人々の活気と、目まぐるしく動いていくスピード感に圧倒されることでしょう。
今回、その築地市場内に2店舗を構える「大宗(だいそう)」さんにお話をうかがいに行ってきました。
シノブ
本日はよろしくお願いします!今朝、マグロの競り場を見せていただきました。競り場に並ぶ数百体のマグロは圧巻でした。さっそくですが、まずは大宗さんがどんなお仕事をされているのか教えてください。
白田社長
うちはマグロをはじめ、鮮魚、塩干魚、冷凍魚など水産物全般の仲卸業を営んでおります。築地市場はさまざまな業種から成り立っているのですが、その要的な存在の1つに“大卸(おおおろし)”というのがあります。
築地で鮮魚を扱う大卸は5社あって、大卸は、全国の産地(水揚げ港)から魚を築地市場へ持ってきて、競りにかけます。そして、我々“仲卸(なかおろし)”に魚を渡す役割を果たしています。
大卸には、産地と競り場を結ぶ“競り人”がいて、例えばマグロの担当であれば、その時期にマグロの水揚げがある産地と連絡をとり、毎朝競りにかける魚を集めているのだそうです。そして毎朝、競りが始まる前に、どの魚から競りにかけるか順番を決め、魚の産地や特徴などをすべて把握し、競り場を整えるのだそう。
白田社長
競り場の準備が整うと、我々、仲卸は競り場へ行き、その日の魚の品定めをします。
シノブ
競りが始まる前に、メモ帳と懐中電灯を手にした人たちがマグロの周りを歩き回っていました。あの方たちが仲卸なんですね。
白田社長
そうです。あれは“下付(したづけ)”といって、並べられたマグロをチェックして、自分が欲しいマグロを探します。そして欲しいマグロに目星をつけると、マグロに貼られた番号をメモ帳に控え、競りに臨みます。
そして競り落としたマグロを店に持って帰り、おろして、お客さまにお渡しするのが我々、仲卸の仕事です。築地市場には約600の仲卸業者の店があるのですが、そのうち約200軒がマグロを扱っているんですよ。
シノブ
え!? 築地の仲卸の3分の1がマグロを扱っているんですか? この場内にひしめき合っているお店の3~4軒に1軒はマグロを扱っているということですよね。
白田社長
そうです。マグロは“大物(おおもの)”と呼ばれ、築地では1日に1,000~1,500本ほどのマグロが取引されています。うちではだいたい毎朝20~25本ほど仕入れています。
シノブ
そうやって日々、仕入れた魚を、大宗さんのお客さまである飲食店や小売店などにお渡しするというわけですね。
大宗さんの店先には大きな冷凍庫があり、中をのぞかせてもらうと、そこには切り分けられたマグロがたくさん入っていました。これらはお客さまからの注文に応じて、切り分け、適宜、出荷するのだそうです。
シノブ
大宗さんでは、いつからマグロを扱いはじめたのですか?
白田社長
マグロを始めたのは先代、私の父です。いまではうちの取扱高の5割弱がマグロです。40年くらい前までは生のマグロしか流通していなかったのですが、冷凍技術の発達で、築地で扱っているマグロの8割が冷凍マグロなんですよ。
うちはもともと江戸時代中期より茨城県那珂湊において漁師の網元をしていました。その後、明治に入って、いまから4代前の頭首が「これからは東京の時代だ」ということで、網元の権利を売却して、日本橋市場(※)の仲卸の権利を取得したと聞いています。
それから関東大震災で被災した日本橋市場は閉鎖され、昭和初期にここ築地に移転しまして、今日まで、マグロをはじめとした水産物全般の仲卸業を営んでいます。
注記)
※江戸幕府開府の時代から魚の流通拠点として、江戸・日本橋のたもとに専門商人が集まった。明治元年(1868年)に東京府が管理し「日本橋魚市場」と呼ばれ、昭和10年(1935年)に築地へ移転するまで続いた。
シノブ
大宗さんはとても長い歴史を持ってらっしゃるのですね。白田社長は何代目にあたるのですか?
白田社長
私は18代目になります。
シノブ
大宗さんが、代々、仲卸として大切にされていることはどのようなことがありますか?
白田社長
時代、時代によって、その時代にフィットしたやり方というのがあると思っています。昨今は、な業種の参入や移送技術の向上、養殖魚の普及などで、市場を通らずとも均一した魚が浸透してきています。それにともなって、市場の使命でもある評価機能や価格形成機能というものが形骸化してきているという実感があります。
シノブ
直接、漁師さんから魚を買ったり、仕入れを自分たちでやっているという小売店さんの話など、ときどき聞きます。
白田社長
そうだと思います。そういったなかで、うちは代々やってきた仲卸の機能を保ちながら、培ってきたノウハウを活かして、日本国内外の川上から、魚を口にされる消費者の方まで、トータル的に考え、さまざまなことに取り組んでいます。それでもやはり、必要不可欠なこととしては、そのもの自体が旨いもの、美味しいものであること、そのもの自体が本物として価値のあるものであることだと思っております。
シノブ
そういった“本物”を見極めることができるのは、大宗さんのように、毎日、毎日、たくさんの魚を見続けている“目”がないとできないことだと思いますが・・・。
白田社長
そこは日々、勉強、勉強です。お客さまには、それぞれ欲しい魚の好みがあります。ひとりひとり違います。我々は、日々そういったお客さまの好みに見合った魚を探しまわり、お客さまに納得していただける魚をお渡しするよう努めています。
魚は、日によっても、産地によっても、ひとつの魚群のなかでも、味がちがいます。たくさん入荷した魚の中から、お客さまひとりひとりにとって一番の魚を選ぶことが我々、仲卸の仕事です。仮に、お客さまにお渡しした魚が、お客さまの好みに合わないものだったら、もうその方はいらしてくれませんから。
シノブ
まさに目利き、ですね。今日、競り場や場内のあちこちを見させていただいて感じたことは、ここにある魚は、単純に右から左へ動いてきたものではないのだということでした。1匹、1匹の魚に、たくさんのプロの仕事が関わっているんだなあと。
白田社長
うちにあるものは、漁場から漁港、漁港から築地、競り場からここに来るまで、プロの目が幾重にも入っています。そうすることで品質が保持されているのではないでしょうか。このマグロも、そうです。競り場からすぐこちらへ持ち帰ってきて、切り分け、冷凍庫で管理していたものです。解凍して、いま、お客さまにお渡しする最後の段階にいます。
ここで「ちょっと待ってくださいね」と、白田社長が話を一旦、中断し、解凍されたマグロに目を向けます。それまでの柔和な眼差しは一転、鋭い目線でマグロの状態を見定めています。そして「うん、これなら大丈夫でしょう」とOKを出しました。
シノブ
いま、白田社長が見られたマグロは、このあとお客さまのもとに届けられるんですか?
白田社長
はい、そうです。お客さまから「今日のお昼にインドマグロを使いたい」と注文をいただいたので、そのお客さまの好みのマグロを冷凍庫から選びだして、解凍して、状態を見ました。これならお客さまに満足いただけるだろうと、OKを出せるマグロと判断しまして、これから包んでお客さまにお渡しします。
競り場で魚を見ているときは、お客さんの顔が浮かぶんです。このマグロは、あのお客さんに喜んでもらえそうだな、と。私が思う“いいマグロ”っていうのは、自分のお客さんが満足してくれるマグロ。お客さん一人一人、好みはちがいます。我々は、血眼になって探しますよ。それぞれのお客さんに『おいしい』と言っていただける魚を。
取材中、白田社長のもとには、ひっきりなしに電話がかかり、お客さんが次々と足を運んできます。「漁師が命がけで釣った魚ですから。精一杯、目利きして、いいお客さまと添わせてあげたいですよ」という白田社長の言葉がとても印象に残りました。
仲卸という仕事は、たくさんの魚のなから、自分のお客さまに合うものを探しだし、お渡しする。まるで魚を橋渡しする仲人のようだと思いました。