この話は全くもって実話です(※登場人物や店舗等の名前は仮名にしてあります)。
車海老と氷が詰まった発泡スチロール箱をかかえて、薄暗い廊下を進んだ。
ホテルや結婚式場のバックヤードを歩くたびにいつも思う。表側のきらびやかな様相とくらべて、裏側の雑然として荒んだ雰囲気。ハレとケ。どっちが現実かな~、なんて考えているうちに業者受付に到着。
築地から来た魚屋ですと伝えると、受付の女性の方は内線で総料理長を呼びだしている。総料理長がやってくるまでに、私は今の状況を頭のなかで整理した。(上がり車海老の発泡を指定された結婚式場に持って行く。そして初めて来たここの結婚式場はこの式場グループの旗艦店であり、今から会う総料理長が全店を統括する偉い人のようだ。情報これだけ・・)
バタン!
廊下の突き当り、厨房入口の両開きの扉が勢いよく開いた。長身でがっしりとした体格に、白くて長いコック帽。遠目からみても間違いない、偉い人だ。こちらに歩いてくる歩調が、すでに怒気を含んでいる。
『うわー、やな予感』
「おい、お前!なんでお前がきた。社長が来るはずだろう。社長はどうしたっ!」
『で、でたー。全く状況が分からないにもかかわらず、偉い人の怒りマックス状態~』
「申し訳ございませんっ」
と、まずは深々と頭をさげ謝りながらも、頭の中では状況の把握と打開策を模索して脳をフル回転させる。
『過去の経験から、怒りマックスの偉い人と対峙する場合、逃げ腰になったらやられる…。逃げたら追ってくる猛獣みたいなもんだ。ここは逆に踏み込め!踏み込めば相手のパンチが当たったところでダメージは少ない!』
ここまで3秒。
相手の懐に入りこむように、踏み込むことに決めた。
怒っている総料理長に、臆さずにこう言い放つ。
「えっ、すいません。私はなにも事情が分からないです。社長の指示により、築地の作業現場から指定された車海老を持って急いで参りました。いったいどのような事がございましたでしょうか?」
ワタクシもびっくりしてございますっ!という大げさリアクション付きだ。
「ワタクシは何も分からないのでございます、大変失礼ながらどういった経緯なのでしょうか、ご説明くださいませッ!」
と、総料理長に事情を最初から説明してもらうようにお願いをする。経験上、怒っている相手には、長い話をさせるようにしむけるのが一番。長い説明をしているうちに相手の怒りが収まってくるからだ。
総料理長の話を聞いて、なるほど合点がいった。
そりゃ、総料理長怒りますわ~。
私に長々と事の経緯を説明させられた総料理長。次第に怒りも鎮まり、持ってきた車海老を厨房の担当者に渡すようにと指示を出すと、事務所へと消えていった。
『あ、危なかった…』
猪突猛進の猛獣をなんとか、かわすことができた。
『それにしてもあのおっさん(社長)、毎度のごとくおもしろミッションを仕込みやがって…』
と思いながら、車海老の発泡を厨房に運びこんだ。
厨房にいる日本料理担当の料理人に車海老を渡す。憮然とした表情の担当者に、総料理長にとったのと同じ方法で話を聞き出す。そこでようやく全ての事情がはっきりとした。
ただでさえ扱いの難しい車海老は、夏の暑い時期は本当にもたない。死ぬとすぐに自己消化し始め、黒変してしまう。そして、昨日この料理人が受け取った車海老が真っ黒だったようで、会社に電話してクレームを入れた。これでは天ぷらに使えない、しかも臭いもでていると。
しかし、そこで電話にでた人間が悪かった。”あの”社長が電話を受けてしまったのだ。最初こそあの手この手でいい加減なことを言って料理人を丸め込もうとしていた社長だが、食い下がる料理人に対してまたもや逆ギレ。
「テメー!こっちは何十年も車海老を扱ってんだ!オメぇが生まれる前から海老やってんだよ。料理人風情が俺に意見してんじゃねぇ!」
その後、料理人の報告を受けた総料理長の怒りが沸騰…という至極当然の流れ。持ってきた車海老を代わりに使用してもらうことで、問題が解決した。
結婚式場をあとにして、社長の携帯に連絡する。
「そうか、そうか。収まったか。わはははははー。じゃ、気をつけて帰ってきて。帰りの新幹線で美味しい駅弁食べろよ~。わははははー」
ガチャ。
帰省ラッシュとは逆方向の東京に向かう。
駅弁を食べて、流れる車窓をぼんやりと眺める。
『俺、いつまでもつだろう』
そう考えながらまどろんでいた。
(次回に続く。)