この話は全くもって実話です(※登場人物や店舗等の名前は仮名にしてあります)。
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築地に来て仲卸で働くようになって数ヶ月がたち8月となった。4ヶ月前に働き出した頃は、春にもかかわらず極めて寒い年で、水仕事が大層こたえた。4月以降の春本来の過ごしやすい季節はあっという間に過ぎ去り、蒸し暑い夏となっている。
築地は江戸時代初期に隅田川の河口部を埋め立てた土地だ。読んで時の如く土地を築いたので、「築地」という地名になった。夏の時期は東京湾からの風が隅田川に吹き込み、築地市場にも心地よい風が流れてくる。
その日は仲卸店舗での出荷作業を終え、地方発送分の荷物を作っているところだった。市場内の隅田川沿いのスペースにとめたトラックの脇での作業。
活きたままのオマールを手で捻って、胴体とテール部分を分ける。仲間内では「もぎり」といわれる作業だ。場内での仕事に慣れてはきたが、「もぎり」だけはいつまでたっても嫌だった。心を無にして念仏を唱えながら数百本のオマールを昇天させて休憩に入った。
“あの”社長の目から逃れられているためか、隅田川からの風が非常に心地いい。冷たいコーヒーを飲みながら川の流れをぼんやりと眺めていると、勝鬨橋をくぐって東京湾へと向かう遊覧船がひっきりなしにやってくる。遊覧船からこちらを伺う観光客の笑顔がまぶしい。
「はー、コーヒー美味しい」
独り言ちた私の作業着から携帯の着信音がなる。
表示は社長。
ゴクリ。
コーヒーではない何かを飲み込む。
「・・は、はい」
「あー、平田くん?いい?店にいる竹山くんから荷物受け取ったら、上野から新幹線乗って!あと30分後に出る新幹線。」
「え、あの・・」
ガチャ。
風がやんだ、蒸し暑い。
ナムアミダブツ 俺ダブツなのか?
私の指導社員的な竹山さんから受け取った荷物は、大きな発泡スチロールに入った車海老だった。
通常、車海老は生きたまま築地に入荷され競りにかけられる。しかし、生き物ゆえ、競り後の仕分け中に弱ったり死んでしまうこともある。私の勤めていた会社では、死ぬことを“上がる“と魚河岸言葉を使っていたが、そうした車海老を”上がり車海老”と呼んでいた。
上がってしまった車海老は自己消化が非常に早い。身がトロけてしまうのだ。それを防ぐためには大量の氷が必要で、ときには氷に塩を降って温度をさらに下げる。その発泡の中にも例外なく大量の氷がみっしり。ゆうに10キロは超える発泡を持って場外の事務所に戻り、スーツに着替えた。
社長はいなかった。
事務の女性から渡されたメモには、東北地方のある都市、降りる駅名、向かう結婚式場の名が記されている。
あと25分。
頭のなかで素早く上野までのルートを確認する。
日比谷線築地駅までダッシュで5分、上野駅まで13分、新幹線のホームまで5分。
いける!!
事務所を飛び出した私は指定時間通り上野に到着し、新幹線の自由席の切符を買った。昼時だったがキオスクで食べ物を買う余裕はなく、新幹線の発車音を聞きながら上野発のやまびこに滑り込む。そして、新幹線に飛び乗ってから気づいた。
「あ、今日、お盆やんけ」
列車内は当然ながら混んでいて、まず客室にさえ入れない。大きな発泡スチロールとともにデッキに立ちっぱなし。汗が吹きでる。河岸の「いい臭い」がする箱とともに2時間弱、東北のとある駅に到着した。
駅からはタクシーに乗れとの指示で、発泡をトランクにのせて目的の結婚式場に向かう。車中で社長の携帯に電話したがつながらない。走るタクシーの車窓から異形の建物が見えてきた。あきらかに東北の地方都市の風景とはかけ離れている。
車は黒い鉄の門を抜け、そびえ立つチャペルと色とりどりな洋館に囲まれたロータリーで止まった。真夏の日差しを反射する青々とした芝生がまぶしい。滑稽な出で立ちをした黒服が、タクシーから降りる私を見ている。
「関東・東北地方の結婚式場グループの総料理長に発泡スチロールを持って行く」
私に与えられた指令&予備知識はこれだけだった。山高帽の黒服に会釈し、式場の入り口とは別の場所にある納入業者専用の入り口へ向かう。発泡スチロールを抱えて薄暗い通路を進んだ…。
(次回に続く。)