この話は全くもって実話です(※登場人物や店舗等の名前は仮名にしてあります)。
ある年の4月初旬、暦の上では春でもまだ肌寒かったのを覚えている。
私はハローワークでもらった求人票を手に夕暮れの築地を訪れていた。
ここには、以前にも一度来たことがある。
とある仕事がキッカケで築地のマグロ仲卸を訪問したのだ。
銀座からわずか歩いて10分の距離であるにも関わらず、
築地市場内に一歩脚を踏み入れた瞬間、前時代的な築地の雰囲気に息を呑んだ。
そのときの印象があまりにも強烈に心に引っかかっていて、
あの『昭和の香りがする喧騒の中で働いてみたい』という漠然とした思いが私の心の中にあった。
日比谷線の築地駅改札を抜け階段を上がったすぐの所にある洒落た喫茶店。
それが指定された待ち合わせ場所だった。
築地本願寺から新大橋通りをはさんだその喫茶店の前から、
凍えた指で求人票に記載されている連絡先の携帯に電話をかけた。
「喫茶店の二階にいるから上がって来い」
という指示に従って、店内に入り階段を上がった。
奥のテーブルに座っている中年の男性が軽く手をあげて私に合図をする。
銀縁メガネをかけて黒っぽいジャケットを着た男性を見て、
『築地の魚屋っぽくないな』が私の社長に対しての第一印象だった。
「当社は海老の仲卸です、主力はクルマエビとオマールです」
という説明を聞きながら、心の隅でインテリな雰囲気のある人だと思っていた。
「オマール海老の買い付けにアメリカのボストンまで同行してもらうこともあるよ」
と笑いながら話す社長に、どう答えていいか分からず相槌をうつ。
とりとめのない話が続いた面接の最後に、
「じゃあ、さっそく来週から来てよ」
と気さくに採用を決めてくれた社長に、
「どうもありがとうございます、来週からお世話になります」
と、席から立ち上がって言ったと思う。
私は採用がすぐに決まってほっとしていた。
(そう、ここまでは良かったのだ・・・)
早朝の4時過ぎ、自宅から自転車で最寄り駅に向かう。
この年は異常に気温が低く4月なのに真冬のような寒さで、
星空のもと凍えながら自転車のペダルを踏む。
始発電車にあわせて最寄り駅に着くと、駅の構内は閑散としていて電車を待つ人間は数人しかいない。『新しい仕事場に向かう緊張と築地で働くんだ』というちょっとした高揚感を覚えながら電車に揺られていた。
築地には6時過ぎに着く。魚河岸で働くには遅い時間だが、仕事に慣れるまではそれでよいということだった。築地駅の階段をあがり左手に築地本願寺を見ながら、小走りで事務所へと急ぐ。
薄もやの中に朝日が昇ってきた。
事務所は築地場外市場の肉屋の2階にあった。
あとになって知ることになるが、築地で働く人々の中では、東京都が管轄する”東京中央卸売市場 築地市場”のことを”場内”と呼んでいる。その場内に隣接する築地場外市場を”場外”と言って区別していた。
”場外”はテレビ局から近いということもあって、ひっきりなしにテレビ番組のロケが行われている。今はもう芸能人を見ても驚かなくなった。
その場外の中にある肉屋のビルの狭い階段を上り、2階の事務所前にとりあえず荷物を置く。この時間は事務所に誰もいないため、荷物を置いたらすぐに場内の仲卸の店に来るように言われていた。
事務所を出て場外市場を抜け波除神社の方に向かう。
海幸橋を渡ればいよいよそこが築地場内となる。
場内は動線がメチャクチャだった。
築地に魚を買いにくる買出人や観光客などの歩行者から、人力で魚を運搬する小車、市場には欠かせない運搬用ターレ、軽の小型トラックから、果ては10トンを超えるトレーラーが入り乱れている。
歩行区分などない。そもそも場内では歩行者が優先ではない。“全てにおいて魚が優先される”、それが築地市場だ。
朝焼けの中、ターレや小車の間を慎重に抜けると氷屋の脇からは仲卸棟となる。アーチ状の仲卸棟には600を超える仲卸がひしめき合い、事前に教えてもらわないと目的の店にたどり着くことすらできない。
店と店の間の通路は狭く体の向きを変えなければ、お互いがすれ違うことも難しい。頭にタオルを巻いた店員が発砲スチロールをもって小走りし、荷物を積んだターレが通路に突っ込んでくる。
場内全体が生き物のように動いている。帳場への掛け声、ターレのモーター音とその排気ガスの臭い、看板を照らす照明のゆらめき。目的の店が近い、鼓動が高鳴る。
そしてついに、店が見えた。
『俺は今日からここで働くんだ』
店の中に発泡スチロールが整然と積まれたなか、
忙しく動きまわる社員たちの中に腕組みをしている社長がいた。
背中をこちらに向けている。
「あ、あの、お、オハヨーゴザィ」
怒声を浴びせている男がこちらを振り返った。
鬼の形相。銀縁のメガネ。目は三角に吊り上がり、口は歪んでいる。
私の視界がゆっくりと揺らいだ気がした・・・。
次回に続く。